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【学校の研究活動】研究主任の苦労と工夫と、少しの喜び【見えないところで頑張ってる!】

学校教育研究・研修と重たい気持ち

「学校教育研究」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

「うえ~、いやだ…」

「なんでそんなことしなくてはいけないの??」

「日々の指導だけでいっぱいいっぱいなのに研究なんてやってられないわ!」

と、あからさまに言う人もいるし、声に出して言わなくても、

「はいはい、なんかしなくちゃいけないんでしょ」

「研修部の言われたとおりにしますよ」

「今度は何のテーマなの?」

「誰かが代表してするんでしょ、私には関係ないもん」

と、心の中で思っている人もいるでしょう。

研究主任になる前は、私もそうでした。
いや…経験した後で他の部署に異動になってから、また同じように思うこともありました。

なぜ、研修ってちょっと「やりたくない」ものなのでしょうか?
「研究と修養」は、教員の義務なのに…。

なぜ研修を重荷に感じるのか(私が考える理由①:自主性の問題)

私が考えるに、その理由は、大きく二つあると思います。

1つは「やらされ感」。人は誰しも、自分の学びたいことを好きなように学びたいのであって、誰かに決められたことをやらされるのは好きではないと思います。

そのような人間の本質に立って、「一人一つ、自由研究」のような研究テーマにしている学校も最近は結構あります。このスタイルは、自主性と、お互いの知識や専門性を分け合うという面で、いい取り組みだと思います。

この研究は、かなり個人の自由度に左右されると思うので、リーダーの意思が確固たるもので、みんなを引っ張っていく力がある人が挑めるものだと思います。

対して、私みたいな

みんなで一歩を進めているかな?大丈夫かな?みんなである一定の知識と方法は共有できているかな?研修でやっていることが、子どものためになっているかな?

などと恐る恐る考えて、大きなチャレンジには踏み出せないタイプのリーダーには向いていないやり方だと思います。

では、私のようなタイプの研究主任が、「最低限でいいので、みんなで同じ目標に向かってある一定のことをやっていく研究」を進めるにはどう工夫すればいいのか…?そのことは、後で述べたいと思います。

こう書きながら、悲しくなりました。

結局、「きちんと、きれいに、一定の形に…」というのは、私が受けてきたこれまでの教育とこじんまりした自分の考え方がめちゃくちゃ反映されていたと感じるからです。

現代の教育に求められる21世紀型能力とは大きくかけ離れていますよね。

まわりまわって、みんな「やらされ感」で結局終わったのかもしれないわ、きっと現代の校内研修の在り方は違うものだわ…と、反省しています。

では、現代の校内研修って何?というのはとりあえず今後も研究していくことにします。

それでも何人かの先生から、

「やっぱり自立活動は子供の実態から流れ図を書かなきゃ目標が見えてこないよね」

「先生のときの研究はやりたいことがしっかり見えていた」

「初任者にあの研修をもう一度…」

とかいう声を後からちらほら聞いたので、誰かの何かの役には立っていたのかもしれません。
それに励まされて、この記事も続けて書いていくことにします。

新しいことを進めていく時に、フォロワーの存在は心強いものですよね💡

なぜ研修を重荷に感じるのか(私が考える理由②:探求的な学びの問題)

さて、学校教育研究が嫌がられるもう一つの理由…と私が考えるのは、
「学校の先生は意外と『学ぶこと』が嫌いだ」ということです。
なぜでしょう?子どもに学ぶことを教えるプロが、意外と学びを楽しめてないんです。

「私は研修とか勉強とか大っ嫌い!」

「そんな勉強する時間とかないもん」

と公言する人も意外と多いです。

(余談ですが、そういう先生たちは、積極的に本を読んだり研修に参加したりする同僚のことを「真面目で偉いね」「いいね、時間があって」と言います。)

そんな時、私は半目になりながら、心の中で

『そんなことないですよ~』とか『先生、お忙しいですもんね』

って言って、自分が勉強しなかったり時間がなくてできなかったりすることを認めてほしいんだろうな…と思ってます。

それは自分が選んだ一人一人の生き方だから、本人がそれでいいと思っているなら、敢えて口に出して言わないでくれ。見守ってくれ…と思う未熟者の私です。

さて、話を戻します。

なぜ先生たちは学ぶことを楽しめないのか?という話題を友人に話すと、

一つは本当に時間がない、雑務が多い、という働き方改革に通じることがあるだろうね

ということの他に、もう一つ、

『探求的な学び』をしてないからじゃない?

と言っていました。
これは確かに…と思わされました。

自分の興味あることに主体的に取り組み仲間と協力し合いながらその場に最適な納得する解を見つけていく、その中で自分の良さや相手の良さ新しいことが生み出される心地よさに気付いていく学びは楽しいものです。

これまで得た知識や見方、考え方をフル稼働させて、つなげたり、気付いたり、ひらめいたり、修正したり、よくわからなくなったり、誰かの一言で納得したり、そして生まれた答えを形にしていったり…。そんなことを繰り返しながら学んでいくことは、苦しみを伴いながらも楽しいものです。

まして、それを授業という形で表現し、子どもが「分かった!できた!私ってすごい!」と伸びる瞬間に立ち会えたのなら、感動ものです。
子どももまた、そんなことを繰り返しながら、学びの楽しさとともに、学び方を手に入れていくのだと思います。

そんな風に考えると、

もしかしたら現在の教師自身が、詰め込み教育や座って聞くだけの教育によって、学ぶことの楽しさや楽しい学び方を手に入れてないのかもしれないな~…

なんて思ってしまいます。

教育の目的と成長することの喜びは共有できるはず!

でも、これだけは信じたい。

どんな先生でも「子どもが伸びること、成長すること」が教員にとっての幸せで楽しみ。そのための努力なら教員みんなができる!…はず!!

私は34歳で研究主任になって、何度も何度も心が挫けそうになりましたが、これだけは固い信念でした。この思いを胸に、何とか3年間は、周りの協力を得ながら続けることができました。

研究主任の3年間を振り返ると、苦しいことがいっぱいでした。

「やりたくない」

「何の意味があるんだ」

「大変だ」

直接的あるいは間接的に伝えられることももちろんですが、管理職や研究推進メンバーとのやりとり含め、一年間ずっと、研究の流れや進度等について考え、マネジメントし続けなければならないのがしんどかったです(願わくばもうやりたくない…笑)。

ですが、喜びの瞬間もありました。

  • 実際に自分が自立活動について深く理解できたこと
  • 一緒に進めていける仲間がいたこと
  • 最後の報告会でみんなで授業の話をしたときに、子どもの伸びが見られたこと
  • 先生たちから「自立活動の進め方が少しわかった」という声が聞かれたこと

その中で、これは工夫してよかったかな?と思うことをいくつか紹介します。

(ちなみに、研究は自立活動の指導の充実がテーマで、方法は実態から実際の指導方法までを導き出す流れ図の作成でした。)

私の工夫①:先人から学び・疑問を見つけ・対話を通して深く考える

研修主任になって一番初めにしたこと。
もちろんテーマについて悩み、方法について悩み、調整について悩み…と悩みは尽きませんが、一番は他の学校の研修主任に様々に話を聞くことでした。

  • 研究テーマ
  • 研究方法
  • うまくいったこと
  • うまくいかなかったこと

幸い、前籍校の知り合いが前年まで研究主任を務めていたので、息詰まったら連絡する、を繰り返していました。

先人の知恵の中には、大きなヒントが隠れている。
例えば、「誰かの大きな100歩より、全員で一歩を踏み出してほしい」という考え方など…。
そこで出てくる様々な課題や解決の方法が、自分の学校にも生かせることが多かったです。

とにかく研究推進のメンバーと進捗状況を確認し合って、うまく行っていない理由があればその解決策をみんなで考えることもその一つ。
分掌の会議では、お菓子を食べ合いジュースを飲み合い、様々に対話しました。

自立活動でみんな、こんなことに困っているみたい。

・重複グループだったら教科の時間との関連性。

・小学部だったらより細かい実態把握の方法。

・中学部だったら将来を視野に入れた目標設定。

などなど。

そこで、疑問をピックアップし、それに答えてくれそうな人材を校内で見つけて(校長先生、教頭先生、教務主幹、学部統括に依頼)、ミニ研修を各学部・グループ毎に設ける等、臨機応変に研修計画も変えていきました。

分からないまま進むよりも、一回立ち止まって深く考えよう、という感じです。

私の工夫②:研究・研修ニーズを把握するためのアンケート

次にやったことは、アンケートです。

自分が勉強したくないことはやりたくない=ちょっとでも興味があれば心は動くはずだ!

と解釈した結果でした。

年度末に「何の授業に一番困っていますか?」と「それはなぜですか?」というアンケートを取りました。

一番多かったのが自立活動

  • 授業で何をしたらよいか分からない
  • 子どもの課題が分かってもどう授業にもっていたらいいか分からない
  • そもそも自立活動って何?

など様々な回答が得られました。

なので、そのことを最初の全体会で出し、

なぜ自立活動を難しいと感じるのか、みんなで自立活動って何かをまず知りましょう。

「実態から実際の子供の指導につなげるのはどうしたらよいか?」をみんなで話し合いながら分かっていきましょう。

すると、子どものためのよりよい授業につながるはずです。

すでに経験がたくさんある方は、どうぞ実践や知識をみんなにシェアしてください。

とゴールを共有しました。
これが案外良かったようです。

その他、アンケートは毎回の研修後に取りました。
「学んだこと、分かったこと、分からなかったこと、良かったこと、こうすればいいのに、など、なんでも書いてください」と言って、必ず付箋を配りました。

先の研究推進委員との対話は、みんなからのアンケートにあった「ここが分からない」がもとになっていました。

今考えると、教員は思っていてもなかなか本心を言わないし、いい所を見つけようとする人たちの集まりなので、本当の意見がそろっていたとは言い難いかなと思います。

今だったら、赤い付箋と青い付箋二つを配って、良かった・分かったことと、分からなかった・難しかったことを書いてもらうようにもっと工夫するかなと思います。

私の工夫③:研修の時間は「子どものこと」を話す時間に

そして、一番の工夫は「研修の時間は子どものことを話す時間にしたい」という思いのもと、教員同士で流れ図や授業について話し合う時間を多く設けたことです。

指導案や流れ図など、何かを作成する、となるとどうしても作ることが目的になってしまうので、作りながら子どものことを考える、作ったものを互いに発表し合う、ことを大切にしました。

そのため、流れ図もクラス全員分ではなく、

  • 1年目は担任副担任で話し合いながら1つを完成させる
  • 方法が分かってきた2年目は1人で1つ作成する

というように、無理のない、余裕のある研修計画にしました。

話し合う時も、隣のクラスの先生に説明し、疑問を出してもらったり、授業について共有することで子供のことを分かっていけるようにしたりしました。

実際にその日のアンケートが「今までで一番良かった」「隣でなかなか見えなかった子どものことが分かった」という意見が多かったです。

また、コロナ禍ということもあり、各学部・グループ毎の報告でしたが、やはり授業の様子を見せ合う、子どもの変化を知る場は、いつもの研修より盛り上がっていました。

やっぱり子ども理解や、授業が自信もってできること、何より工夫したことで子どもが成長することが教師にとって一番の喜びなんだ。

と思いました。

私の工夫④:グループ編成の工夫・気持ちの準備のための事前連絡

最後にもう一つ。

話し合いのグループ編成は、ベテランと若手、講師と教諭が混ざるようにするなど、大きなポイントだけ研究推進のみんなにお願いして、「うまく話合いが成立するには…?」ということを念頭にそれぞれで案を出してもらい、各学部・グループをサポートをしていってもらいました。

また、研修主任をしていて私が一番嫌だったのは、研修日に職員室の黒板を見て、

今日って研修あるん?何するん?

と声が聞こえてくることです。
そうなると、自分はそう思っていなくても誰かに引っ張られて気持ちが後ろ向きになってしまいます。

そこで、次のことを徹底しました。

  • 分掌部会で次の予定を確認
  • 研修日がある週初めに、研究推進のメンバーに朝礼等で研修の日時・内容を伝達してもらう

そのように考えると、研究主任の仕事は、もちろん学校全体を引っ張るという役割も大きいですが、先生方の研修がうまく進むようにサポートする「研究推進委員のみんなをサポートする」ことが大きかったのかな、と、今振り返って思います。

「心理的安全性」を基礎に協働的なチームづくりが大事

もっといろんな工夫はできたかな?と思いますが、あの時の自分にはこれらが自分にできる精一杯の工夫でした。

とにかく、研究主任を実際にやってみて感じたことは、

みんなの協力なくしてはできなかったということです。

協力してくれたみなさんに、感謝、感謝です!

(そして、もちろん、頑張った自分も褒めてあげます💡)

最後の最後に、余談です。

研究の目的は、「問題の所在を明らかにして解決」することだし、「知識の伝達」「専門性の継承」はもちろん大切なんですが、その過程の中で大事なことは、人と人が協働するために「心理的安全性の中で話し合う」場を生み出すことや、一人一人の力を信じることなのかもしれないな…なんて、考える今日この頃です。

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