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【シリーズ】教員生活38年間から得た宝物②~生徒指導と特別支援教育~

りんご
りんご

このシリーズで紹介するのは、教員として38年間務めてきた中学校の先生が教育現場で体験したことから学んだ知恵です📕

モトヨシ
モトヨシ

教育現場をリードし、支援している先生方に役立つ考え方だと思って記事執筆を依頼いたしました😊

今回は「生徒指導と特別支援教育」というテーマでお送りします。

著者の自己紹介

サカモト
サカモト

某所の公立中学校で38年間、センセ(先生)してました。 

定年退職した今は、お母さんや、学校の先生をエンパワメントさせていただくエンパワラーとして活動しています。 (「エンパワラーって何やねん?」って思われた方は、お手数かけますがわたしのブログを覗いてくださいませ。

厳しい現実…

当時、私の勤務校は厳しい状況にありました。

そもそも、わたしが教員になった頃から、その大きさに違いはあれど、長期間にわたって荒れの波に翻弄され続けていた学校でした。

わたしたちは、そんな荒れの波を鎮めることが、なかなかできずにいたのです。

では、いったいどんな荒れ方をしていたのか、ということですが…。

現象面で言うと、授業中、教室に入ることができない子らが校内を徘徊したり、一か所に集まって喫煙したり、ということが、日々、当たり前のように行われていましたね…。

当然、先生がその子らに注意します。

そうしたら返ってくるのがひどい暴言

さらにその暴言を注意したら、いきなりその先生の胸ぐらを掴んで威嚇…。

それをふり払おうとして、先生の手がその子に当たろうものなら、「待ってました!」とばかりに殴りかかってきて…

みたいな流れで対教師暴力が頻発する…。

そんな荒れ方でした。

その状況に疲弊してしまった先生方が拠り所にしようとしていたのがゼロトレランス

『不寛容な厳罰主義』による指導でした。

『指導に従わない生徒は帰宅させる』という、こどもたちを学校から排除する方向に向かっていたのです。

多数の先生方がこの方向を支持していたのは、当時の悲惨な状況を考えたら、ある程度仕方がないことや…って、わたしも思っています。

わたしらの命は誰が守ってくれるんですか!

っていう職員会議での、ある先生の悲痛な叫びは今もわたしの耳に残っているくらいでしたから…。

ホンマモンの集団作り

ただ、当時のわたしの中には、その先生の心の叫びともいえる問いに対する明確な答えがあったんですよね。

それというのが、わたしが『ホンマもんの集団づくり』と呼んでいる人権教育をベースとした集団づくり

新任からの9年間を同推校(同和教育推進校)で、たたき上げられてきたわたしは、人権教育をベースとした集団づくりの実践が空気を吸うように当たり前に身についていました。

そのホンマもんの集団づくりでは、「こどもたちが表面に見せている姿だけを見るのではなく、その姿の裏側に抱えている生活やこどもたちが生きてきた歴史を見よう!」っていうことを大切にされていました。

こどもたちの問題行動には、その行動を引き起こしている原因となっているものが裏側に必ず隠れている」と考えられていたのです。

実際、そのホンマもんの集団づくりの考え方に沿ってこどもたちにかかわってきたわたしは、

サカモト
サカモト

こどもたちの問題行動で、ホンマに困ってる、ホンマにしんどい思いをしているのは先生やなくて、その裏側に如何ともし難いものを抱えて問題行動に走らざるを得なくなっているこどもたち自身や

そして、その如何ともし難いものをこどもたちに抱えさせているのは、学校、わたしたち教員でもあるんや。

っていうことを確信することができていたのです。

でも、わたしのそのような考え方は、周囲の先生方には受け入れ難いものでした。

そりゃそうです。

先生方もまた、こどもたちからわが身を守ることに必死にならなくてはいけないくらい、しんどい状況に追い込まれていたのですから。

問題行動を、その行動をしたこどものせいにし、その子を罰することでしか身を守ることはできないって考えて当たり前、っていうくらいしんどい状況だったのです。

でも、わたしは、

サカモト
サカモト

そんなゼロトレランスの考え方してるから、さらにこどもたちの問題行動がエスカレートするんやないの??

って思っていました。

なので、わたしはこども支援コーディネーターとして、先生方にホンマもんの集団づくりに興味を持ってもらい、実際に取り組んでもらうことで、こどもたちを見る先生方の目を少しずつ変えていこうと考えました。

それが、当時のわたしがイメージした『課題解決的な指導から成長を促す指導への転換』だったのです。

モトヨシ先生、登場!

そんな折、通常の学級における発達障がいがあると思われる子の支援について研究する文科省の事業(発達障害の可能性のある児童生徒等に対する早期・継続支援事業)を受けるかどうか、という話がありました。

支援教育についてよくわかっている、などとお世辞にも言えないわたしなのですが、当時は、今よりもさらに支援教育には疎かった…。

でも、そんなわたしでも、「こどもたちの問題行動の裏側には、発達の特性が影響している場合がある。」という具合に、こどもたちが表面に見せている姿だけに注目するのではなく、裏側に抱えているものに注目する『目』を支援教育は大切にしている、っていうことは理解していました。

なので、わたしは、わたしがイメージしていた成長を促す指導への方向転換の突破口を支援教育に見出すことにしたのです。

文科省の事業を受けることで先生方に支援教育に関わってもらって、こどもたちの問題行動の裏側にあるものを見る目を身につけてもらえたら…と考えたんですよね。

そして、その文科省の事業は、研究を進める際、大学の先生に2年間指導助言していただける、ということになっていました。

わたしは

サカモト
サカモト

モトヨシ先生にかかわっていただきたい!

って、メッチャ思っていました。

それはなぜか?

実は、それ以前に、モトヨシ先生はわたしの学校にもうすでに関わってくださっていたのです。

市の巡回相談で、ある子の発達検査を担当してくださっていたんですよね。

当時、問題行動が目に余る状態になっている子が複数おり、中でもその子へのかかわり方が群を抜いて難しい子がひとりいました。

その子が在籍している学年の先生方も、あまりの難しさに、ほとほと困り果てていました。

そのとき、その子の発達検査を担当してくださったのがモトヨシ先生だったのです。

モトヨシ先生にお願いして、検査のフィードバックを学年の先生にも伝えていただきました。

そのフィードバックのときのことです。

ある先生が

そんな悠長なことしてる場合じゃないんです!

もう、ここまで無茶苦茶するんやったら、この子は家に帰すしかないんです!

っていう具合に、鬱積していた思いをモトヨシ先生にぶつけられました。

そのときのモトヨシ先生の言葉、わたしは一生忘れません。(…って言っても、そのわたしの一生、もうそろそろ終わりに近づいていますが…。)

モトヨシ先生は穏やかに

モトヨシ
モトヨシ

学校っていうところは、こどもが朝、おはようって登校してきてから、さようならって校門を出るまで、どうやったら学校にいることができるのかを教えてあげるところではないのですか?

って返されたのです。

その言葉を聞いてわたしは、

サカモト
サカモト

モトヨシ先生!わたしは一生あなたについて行きます!

ある日の授業中のこと。

先生に暴言を吐いたため、雨が降りしきる中、傘もささずに家に帰らされた子がいました。

その子の何とも言えないくらい寂しそう、悲しそうな背中を見ながら

サカモト
サカモト

こんなん、間違ってる…。

『誰ひとりとして排除しない学校』にしやなアカンやん…。

って、こころの中で呟いていたわたし…。

でも、そんなわたしの思いはなかなか受け入れられず、問題行動がある子は家に帰らされることで学校から次々と排除されていた…。

ゼロトレランスの考え方が先生方の間で主流になっていた、当時の真っ暗闇の学校。

なすすべもなく悶々としていたわたしにとって、モトヨシ先生の先ほどの言葉は、そんな不寛容な存在に成り下がっていた学校を寛容な存在に変えることができる可能性を示してくれる、まさに一筋の光明だったのです。

サカモト
サカモト

この先生がうちの学校を変えてくれる!

そう確信したわたしは、文科省の事業を受けることで、モトヨシ先生に関わっていただくことを熱望するようになりました。

そんなわたしの願いが天に届いたのか、2年間(+別の事業で1年間、計3年間)、モトヨシ先生に関わっていただくことになったのです。

少しずつの変化…そして…

ただ…その道筋は決して平坦なものではありませんでした…。

文科省の事業を受ける、という提案に対して異を唱える先生方がおられましたから。

先生方、受け入れ難かったのは間違いありません。

拠り所としていたゼロトレランスの指導とは真逆の方向に歩み出さなければならないのですから。

不安になって当たり前ですよね。

それに、「この上に、まだ新しいことしやなアカンやなんて…。」という思いになられる方もおられました。

それもよくわかります。

複数の先生方が、年度途中で休んでしまったり辞めてしまったり…っていう悲惨な状況でしたから。

とりあえず、日々、やりくりして何とか学校を回す、っていうだけで精一杯でしたもんね…。

そんな状況の中で、文科省の事業の研究主任的な立場にあったわたしが先頭に立ってその研究を推進するのは、まさにイバラの道を裸足で歩いているようでした…。

でも、ある時を境に、そんなイバラの道から、イバラが少しずつ無くなっていきました。

研究が始まって、しばらく経った頃、モトヨシ先生のご要望で、先生方の授業を大学の学生さんたちに動画撮影してもらう、ということになりました。

そのことを現場の先生方に提案したとき、

なんで大学の先生や学生に監視されなアカンの?!

できてないところをあげつらって批判するようなこと、して欲しくない!

などという反対意見が続出しました。

困り果てたわたしがモトヨシ先生に泣きつくと、

モトヨシ
モトヨシ

大丈夫です。先生方がやってることを批判することなんてしませんから。

とおっしゃっていただいたので、「監視や批判は絶対にしませんから。」って先生方を説得して撮影を決行。

そして、その撮影された動画をもとにして行われた校内の研修で、先生方の凍りついていたこころが少しずつ溶けていくのを、わたしは感じたのです。

モトヨシ先生が編集してわたしたちに提示してくださった動画には、授業中、いきなり質問をした生徒のところに足を運び、その子の横に並び立ち、一緒に黒板を見ながら笑顔で話している先生の穏やかな姿が写し出されていました。

モトヨシ先生はその場面で動画を止めて、

モトヨシ
モトヨシ

この先生、この子にちゃんと寄り添われてますよね。

実は先生方、もうすでにこどもたちに必要な支援できておられるところ、たくさんあるんです。

それが先生方、個々バラバラに行われるんじゃなくて、先生方全員に広がっていったらいいなって思うんです。

っておっしゃったのです。先生方が

監視や批判されるんじゃなかったんや…。

わたしらのできてるところ、見つけるために撮影してくれたんや…。

って感じたのは間違いありません。

研修後、「俺ら、もう支援できてるとこ、あるねんな。」って語り合っていた若い先生方の姿を見ることができましたから。

その研修以降、2年間かけて先生方はどんどん変わっていきました。

それまでは、授業中、教室から出てきた子がいたら「何出てきてんねん!」とか「はよ教室入らんかい!」っていう叱責の言葉かけだったのが「どうしたん?」という寄り添いの言葉かけに変わっていったのです。

最終的に、モトヨシ先生は、支援教育由来の『こどもたちを見る目』を先生方に定着させてくださいました。

そのこどもたちを見る目は、わたしが先生方に取り組んでいただきたかったホンマもんの集団づくりに対する理解を深めることに、大いに役立ちました。

支援教育の視点を持つことで、先生方が「こどもたちの表面に見せている姿の裏側に、発達の面の特性があるのではないか。」という目で、こどもたちのことを見ることができるようになりましたから。

発達の特性と同じように「こどもたちの表面に見せている姿の裏側には、発達の特性だけではなく、愛着の傾向抱えている生活生きてきた歴史も存在しており、こどもたちのことを理解するためには、それらを見る必要がある。」ということに、わたしたちはたどり着くことができたのです。

モトヨシ先生に関わっていただいた3年間で、学校は大きく変わっていきました。

な・ん・と!

授業中、教室を出て徘徊する子がいなくなったのです!

長年、見慣れていた校内の風景が一変しました。

登校してきた子らが全員、教室に入って授業を受けている。

信じられないような風景が目の前に広がっているのです。

それというのも、モトヨシ先生には、こどもたちを見る目を養っていただいただけでなく、それとともに授業を構造化することや個々のこどもへの合理的配慮、そして環境を調整するということについても、丁寧にご指導いただいていましたから。

モトヨシ先生が一貫して指導してくださったのが、

  • 授業中、何らかの理由で途中から教室に入っても、必ずやることがあり、何をやったらいいかが明確にわかるように
  • 教室の環境を、こどもたちがトラブルを起こす前に、起こす必要が無い状態

ということでした。

こどもたちを見る目に加え、この2点について、授業や校内を何度も観察していただきながらご指導いただきました。

その結果、まずは先生方が少しずつ変わっていき、それにつれてこどもたちが少しずつ変わっていったのです。

最終的に、うちの学校は、「別の学校ちゃうか?」って思ってしまうくらい、落ち着いた学校になりました。

モトヨシ先生に関わっていただくことで、先生方のこどもたちのことを見る目の曇りを取っ払って磨いていただきつつ、その目をホンマもんの集団づくりに向けていく…。

そんな風にしてわたしが取り組んでいたのは、まさにインクルーシブな学校づくりだったんですよね。

サカモト
サカモト

誰ひとりとして排除しない、すべてのこどもたちに安心できる安全な居場所を保障する

わたしは、そんなインクルーシブな学校にしようとしていたのです。

そして、そのインクルーシブな学校づくりの取り組みこそが、こどもたちの自尊感情を高めることで問題行動に向かわせない、成長を促す指導だったのです。

次回は…

次回の記事では「教員生活38年間から得た宝物③~不登校と特別支援教育~」についてお伝えします。

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